ばっかじゃないの!

じゃみらー

確かな知識をもつ意味

大学院生にもなると,色々な学問を勉強してきたことになる.
物理で学と付いているものに限ったとしても,解析力学,熱力学,電磁気学統計力学量子力学.(僕は流体力学をまだあまり知らない)
それらを支える数学はこれと同じくらい(それ以上?)色々なものがある.
より実際に扱う問題に即した分け方として素粒子原子核,高エネルギー,物性など色々ある.


教科書風の図書には,はしがきに以上の関係を木に喩えているものがしばしばある.
解析力学等を木の幹に,物理数学等を木の根に,素粒子等を木の枝葉に喩えているのである.
この喩えから読み解くべきことは,第一にそれらの関係が挙げられるだろうが,
それと同じくらい重要な,各学問の知識の綿密な繋がりを僕は主張したい.


大雑把に言えば二つとも同じことなのだが,重きをおく場所が異なっている.
初学者向けに書かれた本にそのようなはしがきがあるのは,読者が初学者であるがゆえに俯瞰的な見方が出来ず,
「各学問の関係はこのようになっているのだ」という示唆が役立つからである.
言うなれば,それらの関係を「知る」というになる.
これに対して,大学院生は一通りそのような学問を各論的に勉強してきたことになる.
各論的な知識になっていたものが,はしがきの喩えを見て,物理学という一つの体系をなすことを実感してほしい.
僕ははしがきにそんな思いを汲み取った.
これは言うなれば,そのような関係を「分かる」ということだと思う.


この「分かる」には,決定的に必要なものがある.
それが確かな知識だ.
この重要性を際立たせる喩えは,木ではなく,家だろう.
しっかりした土台の上に,信頼できる材料を用いて,頑丈な家を建てる.
土台がもろいと,元も子もない.
材料が劣悪なものを用いてしまえば家は風雪に耐えられない.
木の喩えで言えば,根が深く太くなければ大きな木が育たないし,幹が細いと枝葉はあまり広がれない.


勉強すれば,確かに知識は得られる.
だがそれは確かな知識か?
それを常に意識して勉強しなければならない.
なぜなら一度,曖昧な知識を手にしてしまうと,なかなかその曖昧さを拭えない.
どれが確かな知識か,全てを疑い直さなければいけない.
その作業は途方もなく続き,遂行は極めて難しい.


そうなってしまったら,就職してリセットしたほうがいいように僕は思う.
一度すべて忘れ去って,まっさらな土地にまた家を建てる方が,きっと容易だ.
なぜならこれからは,その土台はしっかりしたものか,この材料は信頼できるかなどと問いながらまた改めて家を建てることができるのだから.
これは今まで積み上げてきたものを最大限に活かした再チャレンジだと思う.