ばっかじゃないの!

じゃみらー

物理ってのは

「物理ってのは覚えるようなものじゃない」とよく言われる。
それは「他の学問に比べて記憶する事柄が少ない」ということではないように僕は思う。
もちろんそういう意味もあろうけれど、それは以下の結果としてだろう。


そもそも物理学とは何なのか、それを少し改めて見てみよう。*1

引用元; 物理学 - Wikipedia

物理学(ぶつりがく、physics)は、自然科学の一分野である。自然界に見られる現象には、人間の恣意的な解釈に依らない普遍的な法則があると考え、自然界の現象とその性質を、物質とその間に働く相互作用によって理解すること(力学的理解)、および物質をより基本的な要素に還元して理解すること(原子論的理解)を目的とする。化学、生物学、地学などほかの自然科学に比べ数学との親和性が非常に強い。

古代ギリシアの自然学にその源があり、"physics"という言葉も、元々は自然についての一般的な知識の追求を意味しており、天体現象から生物現象までを含む幅広い概念だった。現在の、物理現象のみを追求する"physics"として自然哲学から独立した意味を持つようになったのは19世紀からである。

物理学の古典的な研究分野は、物体の運動、光と色彩、音響、電気と磁気、熱、波動、天体の諸現象(物理現象)である。

学習という面から見れば大切なのは「普遍的な法則」を正しくおさえること。
それがどのようなことかを明解に表現するなら、次の2つになる。

  • 法則自体がどのようなものなのかを知る
  • その法則の適応可能な領域はどこなのかを知る

一般的に、本当に何事に対しても適応できるような普遍法則というのは、それ自身は全く役に立たない。
本当に例外なく何事にも適応できるなら、それはもはや単なる認識でしかないのだから。
法則としてわざわざ採用するのだから、それがあることによって何かしらの益が見出されなければならない。
逆に言えば、法則として存在するからには有益な情報が得られるのだろうと想定できることになる。
ただし、その法則に沿わない物事に対して適応してしまうと、当然ながら得られた情報は誤っているだろう*2


有益な情報を得るために法則を用いたい。
けれどその法則の適応が妥当かどうか判断できないと用いられない。
ここに学習として問題を解くモチベーションがある。
つまり具体的な問題を通して、どのような法則があり、それは何に対して適応できるのかを理解し、問題を解決していく*3


物理学というのは、1つの法則に非常に広い適応領域がある。
ニュートン力学と総称される力学は3つの力学法則によって説明される。
質点や剛体の(光速よりも十分遅い速さの)運動はすべてこれらの法則で説明できる。
つまり正確に3つの法則を理解したならば、膨大な量の情報が得られるということになる*4
3つの力学法則の第2法則(運動方程式)をより扱いやすい形にしたのが解析力学である。


これははじめに書いた「他の学問に比べて記憶する事柄が少ない」ということの一例になるだろう。


ことの本質は、どこにあるのか。
「物理学ってのは、何が本質なのかを見抜く学問だ」と僕は思う。
そこに本質があるんじゃないだろうか。


ニュートン力学で扱える質点や剛体なんてものは実際には存在しない。
大きさのない球なんてないし変形しない物体なんてない、ということ*5
でも物体の運動の本質は、まず第一に物体の大きさではなくてその質量だと考える。
大きさをも含めて考える場合はその形が本質だということになる。
それで実際に非常に多くのことが説明できることをニュートン力学は教えてくれている。


覚えるよりも本質を見抜くこと。
だから、物理ってのは覚えるようなものじゃないと、僕の言葉として言う。




余談になるが、ひとつ。
もう一度 Wikipedia の引用部に戻ってみると「物質をより基本的な要素に還元して理解すること(原子論的理解)」というのがある。
さっきの話は詰まるところ「自然界の現象とその性質を、物質とその間に働く相互作用によって理解すること(力学的理解)」の説明だということになろうか。


僕の解釈では、原子論的理解というのは、還元論的な考え方に基づいている。
還元論とはすなわち複雑な構造のものでも単純な要素から成り立っていて、その単純な要素だけを理解すれば、複雑な構造のことは分かるという考え方である。
つまり少し強引に言ってしまうと、本質というのは構成要素にしかなくて、その本質さえ突き止めてしまえば原理的には全ての事柄が理解できるということになる。

原理的には可能かもしれないが、現実問題としては実現可能性はほとんどない。
僕の研究領域も、還元論的な考え方では説明できないような分野なのだから。
電子間の相関に起因する現象が研究対象なのだから。

*1:こういうときに Wikipedia をほいほい持ち出すのは好きじゃないが、まぁ共通認識の種として持ち出すのには便利で良い。ざっくり言って話のスタート地点を定めるため、ということ。

*2:「誤っている」は言い過ぎになる。「得られた情報が正しいという保証がない」と言うべきだろう。

*3:ゆえに必ずしも問題を解いて学習する必要はないと僕は思う。

*4:得られた情報を有益だと思うかは、さておき。

*5:ボールが跳ねるのをハイスピードカメラで撮ってみたらすごい変形しているのが分かる。