ばっかじゃないの!

じゃみらー

プロ学生

大学生にまでなると、プロの学生だと思っていいと思う。
というかむしろプロ意識を持つべきだと思う。


小学校6年、中学校3年、高校3年と来て、大学生になる。
浪人や何やらの紆余曲折でプラスマイナスすることはあろうけど、大体10年は学生をやってるわけだ。
そこまできたら、授業を受けるプロフェッショナルになっていてもいいだろう。
教授者を批評するプロを名乗っても良いくらいの下積みをしているはずだ。
10年と言えば、寿司屋に弟子入りして一人前とみなされるくらいの期間。


感覚的に「この授業は面白い」や「あの授業はつまらない」を超えた意見をもつべきだ。
つまり、教授者がどのような授業をするのかを捉え、解析し、それに対する考察を行うことを奨める。
同じことを教えさせても、教え方一つで面白いともつまらないとも感じる。
それは教えている内容自体におもしろい・つまらないという区別はあまりないことに等しい。
そこでつまらないと思った理由は何か、面白いと思ったところはどこかを探してみる。
自分が面白いと感じることは何かを把握することにも繋がる。
そして何より、自分が教えるときにどんなことに気をつけた方がいいかなど大変良い勉強になる。
「教えることないよ」なんてことはないだろう。
歳をとって、年上になるということは、年下がいるということ。
明示的に教えるという行為をしなくても、教えているはず。
人と関わっていたら、必ずそんな場面に出くわす。
そこでプロ学生だったときの経験が活かせる。


少し繋がりが分かりにくい話を一つ付け加えておく。
大雑把に言って、感性は天からの授かりもので、理性は自分で獲得していくものだ。
人間の感性ってのはすごいもので、半端な理性より余っ程キレる。
つまり理性を用いはじめた当初は、質が低下したり勘が鈍ったりする。
そこで理性に見切りをつけてしまってはいけない。
使える理性になるまで、鍛えなければいけない。
理性は人に対してとても強い。
人の「なぜ?」や「どうして?」に答えられ、納得させられる。
感性にはそれができない *1
はじめは理性が感性を邪魔するかもしれないが、それはうまく理性を使いこなせていないからだ。
感性と理性とを両方使えるようになると大変つよい。

*1:人となりとして信頼を勝ち得た場合は、あるいは感性だけでもいいだろう。