ばっかじゃないの!

じゃみらー

大きな言葉と小さな言葉

以下、岩波文庫十川信介編『藤村随筆集』を読んでいて面白いと思った事柄など。

藤村随筆集 (岩波文庫)

藤村随筆集 (岩波文庫)

p.32「大きな言葉と小さな言葉」にある一節。

「現代の人の口に上る合言葉、新聞雑誌の中に見つける新語、書物の中に出て来る学問上の述語、それらの多くは大きな言葉である。私たちが現に口にしていながら、それに気がつかずにいるような、それらの親しみもあれば、陰影もある日常の使用語の多くは小さな言葉である。筆執り物書くほどのものは、いずれもこの小さな言葉をおろそかにしない。故福沢諭吉翁はあの通り明治初年の頃に文明論を書いた人であるが、あれほどの論文も大きな言葉ばかりでは書かなかった。」

またこうも記されている。

「わたしたちの語学は多くは眼から入る語学で、耳から入る語学ではないのだから、日常使用する些細な言葉の語彙には乏しくて、書物の中に出て来るようなむつかしい名詞、形容詞を暗記していることは、しばしば外国人を驚かす。ある倫敦の婦人は、日本から行った留学生を前に置いて、「あなたがたは大きな言葉をよく知っているが、小さな言葉を御存じない」と言って見せたとか。どうしてこんなことをくどくどしく書きつけて見るかと言うに、その英吉利の婦人が言ったという大きな言葉と小さな言葉の関係こそは、わたしたちの忘れてならないことで、一度その言葉の秘訣を会得したら、自由に思うことも言いあらわせるからである、これは会話の上のことにのみ限らない。物書く秘訣も、実はそんなところに潜んでいるのではあるまいか。」

ややもすれば議論をするとき、大きな言葉をのみ用いてはいないか。文章を書かんとするとき、大きな言葉に期待を持ちすぎて小さな言葉を虐げてはいまいか。

こんなことを思った。

“手紙もこんな風に書けたら、どんなに楽しかろう。そして、こんなに真情が直叙されたなら、物書くその事が直ちにわたしたちの心を満たすことであろうとも思われる。”