ばっかじゃないの!

じゃみらー

学部生を見ていて

今日は僕がTAをしている演習の授業の期末試験だった。
試験監督(の補佐)をしていたので、みんながウンウン考えたりゴリゴリ解答を作っていたりするのを見ていた。
確かによく出来ている子も数人いる。
全く手が止まってしまっている子もいる。
書いては消し、書いては消しと繰り返している子もいた。


現時点で、確かに解答の出来に差があるように思う。
ただ、僕にはそれが致命的な差には見えなかった。
演習のTAをしていて、人それぞれの良さがあって、一概にテストの出来で量らない方がいいと思った。
その良さってのは、ベタな喩えだけど、宝石の原石みたいなもの。
まだまだ磨かないと輝きださないような、でも磨けば確かに輝くだろう原石。
自分なりの理解を進めることで、自分なりの考え方を確立していって欲しい。


注意して欲しいのは、ここで言う「自分なり」というのは独りよがりとは違うということ。
書いてあることをそのまま覚えることではなくて、書いてあることを自分の言葉で表現できる。
そういう意味での「自分なり」だということ。
「自分の言葉」がよく分からないのなら、お昼に近くの公園に行ってみてほしい。
公園から帰ってきたら、その公園はどんなところなのかを誰かに説明してみる。
その説明を受ける相手は、その公園に行ったことのない人が良いだろう。
公園の名前を伝えてもそこがどんな場所なのか分からないはずだ。
そこで君はどんな言葉を使って説明するか。
もしも相手にどんなところかが(何となくでも)伝わったのなら*1、それが「自分なり」の説明と言える*2
そしてその説明には「自分の言葉」が使われている。


僕なりに、人の持つそれぞれの良さを系統で別けようとすると、大別して2つあると考えている。
一つは、直観的なタイプ。
もう一つは、知識を重視するタイプ。
自然には、互いに重ならない流れを持っていると僕は思っている。


喩えるならば、直観派は少ない道具をフル活用して問題を解決しようとするタイプで、
知識重視派は、そもそも使える道具の数を増やして問題に挑もうとするタイプ。


直観派は、使える道具の数を増やしたがらない傾向にある。
そんなことをしなくても、いま使える道具を組み合わせて対処できるはずだと考えるんだと思う。
実際にそれで何とかなってきたことが多いのだろうと思う。
「ということは、○○ってことになりますか?」みたいな発言が多い気がする。
良い意味で自分の言葉を用いることに慣れている。
ただ、偉大な先人たちの見いだした道具を一から自分ひとりで作り上げられはしないことを身を以て知るべき。


知識重視派は、道具の適材適所で問題に当たる。
先人の知恵によって、世の中には数限りない道具がもたらされている。
そのことは誰もが認めるところだろう*3
道具どうしを組み合わせるよりも、すでにそれらが組み合わさった道具を手に入れようとする。
それゆえに、知識重視派は、使える道具の数は相当数になる傾向がある。
問題をウンウン考えて対処するというよりも、今の自分が持つ道具から適した道具を選び出そうとする感じ。
それが見つかったら、解決までがすごく早い。
ただそれが見つからない場合はお手上げ状態になりがち。


直観派の利点は、新しい道具の組み合わせを見つけ出せる可能性が大きいこと。
知識重視派の利点は、そういう直観派が新たに生み出してきた道具を用いること、言わば人類の叡智を活用できること。


まぁざっくりまとめると、どっちが良いという問題でなくて、どちらもないと困るという話。
自分がどちらの方に寄った人間かを判断することが、まず必要。
それから反対のタイプの重要性を切実に実感すること。


いずれにしても、それらの良さをのばしてくれるのは、はじめに書いた
「自分なりの理解を進めることで、自分なりの考え方を確立していく」こと。
問題にぶち当たるまで理解を進めようとしない直観派には、そもそも理解を進めようとしなければならない。
すでに知られた問題に対する解決策を理解しようとする知識重視派は、自分なりにその問題の位置づけを明らかにして、他の問題との連関を意識しなければならない。
言うなれば、その良さをのばそうとする行為は、何と何とが組み合わせられた道具なのかを知り、どう組み合わさっているのかを学び、バラバラになった道具のみを持つようにする。


そうすることによって、欠点を補いつつ、利点を伸ばせる。
底上げ的なもの。


まだまだのびると思う。
正直に言って、今後の努力次第だろう*4
がんばってほしい。

*1:伝わらないうちは、その公園がどんなところかを上手く表現できていないことになる。それはきっと自分の理解がまだ不十分だということだ。何故に自分の説明では通じないのか、相手にもアドバイスをもらいながら、理解を十分なものに変えていく必要がある。

*2:書いてあることを言うのではない。書いてあることの示すモノ、それを見て(感じて)、そのままを表現する。それが“結果的に”書いてあることと同じでも、問題ない。それは「自分なり」の説明と言っていい。

*3:それでもまだまだ知られていない道具や、道具として確立されていないものも数多くある。

*4:努力はするとしても、どういう努力をするのか、それによってまた違ってくる。