ばっかじゃないの!

じゃみらー

痛いブログですよ、ああ痛い

タンスの角で小指をぶつける。
ああ痛い。
紙で指を切って真っ赤な血が出る。
ああとても痛い。
弁慶の泣き所を蹴られる。
涙が出るくらい痛い。


自分がそうなってなくても、文字を見ただけ/話を聞いただけで痛いと思っちゃう。
これは一度以上のそういう痛い体験をして、身に染みて痛さを分かってるとなるもの。


逆に一度もそんな経験がない(そんなことがあることすら知らない)場合、話は全然違ってくる。
当然、そんなことを聞いたところで、痛みを感じない。
むしろ自分が痛くないのに痛いと感じる方がおかしいと思える。


それを体験したことがあるかないかで劇的な違いが生じる。
何も痛みに限らず、広く言えることだと思う。


外国人に、国の言葉で「タンスの角で小指をぶつける」と伝えたところで「タンスの角」がピンと来ないかもしれない。
家の中でも靴を脱がない文化圏では、家具で足をぶつけたところで小指がピンポイントで痛くなることもない。


そういう次元の違いもあるが、ただ、言葉の問題がそこにも絡んでいることを指摘したい。
日本語を知らない外国人に「タンスの角で小指をぶつける」と日本語で言ってももちろん通じない。
つまりそこに痛みは感じられない。
当然だと思うだろうが、これをもう少し一般的に捉え直してみると、自明でない結果が得られる。


でも、今日はちょっと眠たいでござる。