ばっかじゃないの!

じゃみらー

答案をどこまで書くか、書かないか。

学部生に「どこまで詳しくレポートを書けばいいのか」と訊かれることがある。
難しい問題だと思う。
論理が通っていれば*1、基本的にそれでレポートとしては良いのだけれど。


レポートを提出する側にとってみれば、具体的な基準があって欲しいのだろう。
何らかの基準が明確にあると、確かにそれを満たしているかどうかレポートを作る側で判断できる。
確かに、全く見当違いのレポートを提出することはなくなるとは思う。


だが、明確な基準があるということは、裏を返せば、その基準をヒントにレポートを作成できてしまう。
全く手探りな状態でレポートを作成するわけでなくなってしまう。
また別の言い方をすれば、レポートの作りがほとんど決まってしまって、レポート作成者は“それに合わせる”ことがメインになってしまう。


一般的に言って、何らかの指標がある場合、それを効率よく活用して、最小限の努力で目標を達成する。
それが出来ることは非常に重要であり、それが出来ないと、回避可能な苦労を負わなければいけない。
だが、大学でやっていることは、その「何らかの指標」がない場合*2を主に扱っている。
このような場合の方が実際には世の中に多くあるはずで、これが出来ることは明確な目標がある場合と同等(もしくはそれ以上)に重要だ。
ただ、概して人は、そういう漠然とした目標の達成を課せられたとき、途方に暮れて立ち止まってしまう。
そのとき、どうやって目標を達成すれば良いのか、どのようなアプローチ方法があるのか。
実際にそんな途方もない目標に挑む体験して、一度でも確かに目標を達成してみなければ、それを出来るようにならない。
そういう意味合いを込めて、漠然とした目標が課せられる場合がある*3


何が言いたかったか、と言うと。
・明確な指標が欲しい気持ちも分かるが、そうかと言って、それに応えられるわけではない。
・漫然とただレポートを作って提出するだけで満足しない方が良い(学べることは他にも多くある)。

*1:これについては、少し言いたいことがある。のでこれを書いた。

*2:よくよく考えてみれば、どんな場合にだって全く指標がないなんてことはあり得ないわけなんだけど。

*3:必ずしも横着をしているわけではない!