ばっかじゃないの!

じゃみらー

うまく誤魔化すことの価値

レポート作成について書いたが、その精神は真面目に嘘偽りなくレポート作成に取り組むことを前提にしている。
だが必ずしもそんな前提が成り立たない状況もある。
(この記事のカテゴリが bon sens であることに注意して頂きたい)
自分の能力の限界は、その時々で、必ず存在し、それを上回る目標を達成しろと要求される場合があるのだ。
そしてその要求に応えられない場合、非常に厳しいペナルティが課せられる、そんな状況が存在する。
カイジの話をしているのではない。


これは自分の力では越えられないが必ず越えなければならない壁があった場合の話。
真面目すぎる人は、そこでも実直に自分の力で何とか越えようとして、そして越えられないで悲惨な結末を迎える。
それを、僕は良いことだとは思わない。
その時に確かに自分の限界を越えた要求であったとしても、後になってみたら屁でもない要求だと感じられるときがある。
言ってみれば、人は成長するのだろう。
だがそのとき越えられずに躓いたがために、成長を止めてしまうのなら、僕は良いことだとは思えない。
真面目に取り組むことは良いことだ。
が、過ぎたるは及ばざるに如かず*1


少なくとも、自分の能力では達成できないときの手段として、それをうまく誤魔化すことも出来た方が良い。
(誤解されると非常によろしくないので、繰り返すが、この記事のカテゴリは[bon sens]。あくまで、何の条件もなく誤魔化したらえぇんやと言っているのではない。)


大切なことは、後になって振り返ったときになって、やっと分かる。ということにも通じてたりする。
そのときは乗り越えるのだけで精一杯で周りが見えてなかった。
高い壁だから、視界が拓けていて見晴らしがすごく良いのだと、周りを見渡すだけの余裕ができてはじめて気付く。的な。


毎度のことながら、あまり論理的でない文章だと、思いながらも面倒なのでポスト。

*1:「如し」ではなく。