ばっかじゃないの!

じゃみらー

悪の権化

深夜0時を回ってからの時間の流れが早いことに気付いた僕です、こんばんは。
これはきっと日付をまたいだために起こる副作用ってやつですね。
冗談ですよ、もちろん。
ハハハ。


平気で冗談を飛ばせるくらいの平和な日常をおくらせてもらっています。
ニュースで報道される内容がそろそろ他人事の気配を帯びてきました。
被災していない多くの人がそれぞれの日常に戻っていっているのでしょうか。
関東ではガソリンがないとか、買い占め問題がどうだとか忙しいようです。
みんな車が好きなんだね。
便利だとは思うけど、僕は電車の方がずっと大好きだから!※鉄っちゃんではない


高校の頃、意識が分裂してたんですね。
自分がいて、それを見る自分がいて。みたいな話です。
客観的に自分を見ようとするあまりにたくさんの自分がいるばかりで、何をするにもビクついていた感じ*1


何のきっかけだったか忘れたけど、それが一度、完全に統一された。
たぶん鈴木大拙の『東洋的な見方』か『日本的霊性』かを読んでいた頃だったと思う。
非常に影響されたのは覚えてるけど、どう影響されたかは少しも思い出せない。
もしかしたら九鬼周造の『「いき」の構造』だったかもしらん。
シェイクスピアも同じ時期に読んでたけど、あれは僕には面白みが全然分からなかった。
まぁ、とりあえず、自分が自分に戻ってきた。
頑張れとか何とかで書いてあるような、"「"と"」"とで括られない地の文の世界に戻ってきた。


それからしばらくして、その完全な自己同一状態と以前の分裂状態とが混じるようになった。
時間的に混じるということでなく。
つまり、あるときは完全に統一されていて、またあるときは分裂しているというような混じり方でない。
自分を見る自分、それをまた見る自分という構図に、主導的な自分は居ないわけだけど、
今回は主導的な自分がいて、それを見る自分(以降同様)がいるような構図。


何が言いたかったかって、偽善か善か、奇麗事かどうかは他人には分からんのではないかということです。
ただし他人にしてみれば分からなくても「偽善」だとか言えるわけです。
そう言われたからと言って、むやみに偽善なのだと受け入れる必要はないと思うわけです。
しっかり冷静に客観的に判断して、その判断を信じるだけの自信(自分を信じると書く)を持ちましょう。
みたいな話。
ちなみに「悪だ」と言われた場合は、誰かに害を及ぼしているので考え直したほうが良いです。


無常の無常は常なのかと思うけれど、やっぱり無常は無常なのだと思うのです。
これはやっぱり、悪の権化でもあるのだと思います。

*1:まぁ分かる人には分かる書き方をしているのだと思います。つまり分からない人には何を言っているか全く分からないのだと思います。