ばっかじゃないの!

じゃみらー

諦めたわけじゃなくて

道に迷ったときに,とりあえず適当に前に進もうとする人と少し引き返してみようとする人とがいる.
自分が「迷った」と自覚した時点で,どう行動に移すかの違いという意味.
全く無計画に歩き回って,自分がどこにいるかさえ考えようとしないような文字通りの放浪旅は別の話.
あくまで,何となくでも自分がいる場所を分かっている(と思っている)状況からのロストということが前提.


とりあえず前進するタイプは,往々にして自分に(漠然とした)自信がある.
そもそも,そこまではこの道が正しいと思ってきたわけだから,かもしれない.
「迷った」と思ったところで,きっとこの道で良いはずだという自信は揺らがない,揺らぐ必要がない.
そのまま突っ切って目的地や意図した場所に辿り着けた経験が何度もあるのかもしれない.
「今回だって」と考える.


引き返そうとするタイプは,自信よりも自分の認識を優先する.
迷っても,自分が知ってるところまで戻れば何とかなると考える.
そのまま突っ切っても目的地や意図した場所に辿り着けた経験が何度かしかないのかもしれない.
それよりも自分の知っているところまで戻ってから,どの道がいいか調べながら進もう.
その方が結局彷徨った挙げ句の果てに,元来た道を戻ってやり直すよりかはましだ.


別にどちらのタイプが優れているとかいう話ではなくて,ただそういう人たちがいるという話.
自分はどちらに似た類いか考えてみると,違うタイプの行動が何となく気になる.
後者から見えれば前者の持つ自信が何を根拠にしているのかと不思議がるだろうし,
逆の立場からすれば,どうして今まできた自分の道を信じられないのか理解できないだろう.


また別に,とりあえず人に尋ねてみるという人もいるだろうし,少し立ち止まる人もいるだろう.


「この人はこういうタイプ」というような四角四面なカテゴライズは愚かだと思う.
ただ「この人はこういうタイプ」という色眼鏡で見てみたら,その人がくっきり見えたりする*1
そんな色眼鏡をかけて見て,全くボヤケてしまったらその色眼鏡は「その人」用じゃなかったってこと.


まぁ人は分かり合えないとか書いちゃった手前,でも諦めたわけじゃないって話.


何て言うか,同じ釜の飯を食った仲なら分かり合える部分も多くあると思う.
それは分かり合えるというか思いを共有するって感じだと思うんだけど,分かり合えるとも言えるような気がする.
「分かち合える」の方が適切かもしらん.
同じ思いを仲間と分け合うって感じ.


そもそも分かれてるものを相手にする場合,お互いの違いを認識するしかないように思うって話.
俗に言う「分かり合える」っていう漠然とした一体感を万人に求めるのは無謀と言いたい.
そういう意味での「分かり合えない」であって,別にそれを悲観する必要もないし,まして諦める必要もない.
逆に,そういう認識に立てば,積極的に違いを受け入れられるように思う.


相手が何を言いたいのか,何を意図しているのか分からない.
それを知りたいのなら訊けば良い*2
何となくこうじゃないかと勝手に判断して,全くトンチンカンな思い違いをするよりはずっと良い*3

*1:逆に見えなくなる部分も出てくる.それが四角四面なカテゴライズの問題点.かけはずしできるような眼鏡くらいで丁度いいハズ

*2:別にそんなに知りたいわけでもないし訊くのも面倒ならテキトーに合わせればいい.

*3:まぁさじ加減は経験で分かるようになるハズ