ばっかじゃないの!

じゃみらー

嫌いじゃない

人と人は分かり合えない.
別に悲観することじゃない.
みんなそれぞれ違うんだもの.
当たり前のことでしょう.


そういう思いに至ったのは,とうの昔で.
「分かり合えない」をベースに考えていけば,
少しでも思いを分かち合えたらハッピーになれることを知った.
分かち合えなくても何も悲しむことはない.
それぞれ感じ方も違う,考え方だって当然違うのだから.
当たり前すぎて馬鹿らしくなることだけど.


だからかは分からないけれど,自分のことを知ろうと思った.
自分を通して人を見ようとか,逆に相手を通して自分を見ようとか.
行動に対する反応,さらにその反応に対する応対.


はじめは自分の感情が新鮮だったり気持ち悪かったり.
でも,自分がどんな人間なのかが,何となく分かってくる.
そのうち自分が普通の人間だということを思い知った.
普通に笑うし,普通に泣くし,普通に悲しむ,喜ぶ,怒る.


他人もだんだん見えてくるようになった.
当たり前に,何の脈絡もなく激怒する人もいないこと.
それには原因があり,怒りの矛先があり,そして確かに怒りを感じているということを知った.
因果律とか大層な言葉があるけれど,本当になんてことはない些細なものの連関で.
怒りの矛先が自分にあるのなら,少なくとも原因は知りたいと思うようになった.
「勝手に怒っておけ」と,それ以上考えることをやめられなくなった.
まぁ原因を知っても,自分がどうにかできる問題かは分からないけれど.
どうにか出来るならどうにかするし,誤解なら解きたいし.


全く何の脈絡もなく,何に対しての怒りかも分からずに怒り狂っている人がいたら,
それは確かに「普通じゃない」けど,そういう人にはとりあえず病院にいくことを勧めたいと思う.


怒りだけでなくて,笑うことも泣くことも普通に理由があるもので.
たまぁに不意に,わけも分からず泣いたりすることがあるけれど,それにはきっと理由が要らないんだろう.
同じように,笑うってのもあっても良いんだけど,僕には何故かそれがない.


関係あるような,ないような話だけど,
大きい言葉を使ってどうこうする人に,僕はなれないと思った.
それから「特別であること」を求めたりすることも辞めました.


あと,これは全然関係ないけど言いたいこと.
結婚した夫婦が,お互いの悪いところを「諦めた」とか言うのに対して,
それを「受け入れた」とは思えないか考えてほしいな,と思う.
していることは同じだと思うんだ,僕は.


まぁ,そんなこんなで,今日はバレンタインデーですよ.