ばっかじゃないの!

じゃみらー

幸せかどうか

いま自分が幸せかどうかに気を取られているなら、自分が幸せに感じることに意識を割いたほうが良い。
だって自分が幸せかどうか考えるなんてロクなもんじゃないんだから。


何かで幸せを感じられたら、それはきっと幸せだからなんだ。
幸せかどうかなんて考えるまでもなく、それは幸せなんだ。
次の瞬間、もしかすると不幸のどん底に突き落とされるかもしれなくとも、幸せな今は間違いなく存在している。
不幸のどん底に落ちたとしても、さっきまでの幸せに感じた心はなくならない。
そうやって今を受け止めていけば、きっと幸も不幸も日々のうちにある。


生きるってそういうことでしょ。と、まだ四半世紀も生きていない僕が言う。


幸せを求めて生きると、幸せにしがみついてしまうからイケナイかもしれない。
何かの結果にある幸せであること、それは目的でなくて結果としての。
「報われるために努力する」みたいになっちゃうと、その努力は一過的になりがち。
それに報われなきゃ努力をしない人間になっちゃう。
「情けは人のためならず」とか「犬も歩けば棒に当る」って諺がある。
のちのちは自分の身を窮することにもなりかねない*1


幸せかどうかに気を取られるって、寒さに身体がぶるぶる震えているのと同じじゃないのかなって思う。
肩の力を抜いて、深呼吸をしてみたら案外に寒くなかったりするってこと。


まぁ今日も僕はのらりくらりと書いておるわけです。

*1:そうだからと言って「報われなくとも努力する」という思考回路はダメ。それは[http://d.hatena.ne.jp/serendipity3/20101213#1292169655:title=頑張れとか何とか]に書いてあることから理解すべし。