ばっかじゃないの!

じゃみらー

本を読む

ルイ・ドゥ・ブロイ著『物質と光』を随分とのんびり読んでいた。
ようやく読み終える。
アインシュタイン-ドゥ・ブロイの関係とかドゥ・ブロイ場とかの、あの人が書いた本。
なぜ物質─というか電子とか─と光とを関係付けさせようと思いついたかなどがすんなり納得できた。
むしろそういう流れの方がドゥ・ブロイにとっては自然だったのだろうとさえ思えた。


そういえば最近アマゾンで注文した『本の中の世界』湯川秀樹著(中古)を読んでた。
一緒に注文した『極微の世界』(中古)が旧字体で書かれていて面食らった。


なんだか最近の読み物的な本の内容がどんどん飛散していっている。
少し前は、パラダイムという概念を提唱したトマス・クーンの『科学革命の構造』だったり。
それからサイバネティックスの創設者ノーバート・ウィーナーの『発明』だったり。


今日は物理屋(ひよっこ)っぽく『自然科学的世界像』と『現代物理学の自然像』を買ってきた。
もちろん書いたのはW.ハイゼンベルグ。
一緒に買おうか迷ったプリゴジンの本『混沌からの秩序』と『確実性の終焉』もそのうちに読みたいと思う。


そういえばボーアの『因果性と相補性』という本は買ったまま読めていない。
少し読んで、あまり馴染めなかったのが理由の一つにある。
またの機会に読む。
そのつもりで机の横に積んである。いわゆる積ん読


最近よく話題に上がるマイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』という本が買う気になれない。
たまたまハーバード白熱教室を見たのが原因かもしれない。
よく教育された人たちのための、教育的な講義って感じで、好きになれなかった。
僕は教育という観点から見ると出来の悪い生徒だろうから。
ただ、気にはなっている本ではある。
出来るならば借りて斜めに読むくらいにしたい。