ばっかじゃないの!

じゃみらー

平凡な日常

ガンダム00の映画がもうすぐ公開だとかで、テレビでダイジェスト版をやってた。
本編を見てたわけじゃないから見てみた。
どえらい展開が速い。
いや、当たり前なんだけど。
知らん間に人が増えてたりする。
大破したはずの機体が次のシーンではピッカピカの状態でピンピンしてたりする。
さすがダイジェスト版。
雰囲気的にはガンダムWに似てる。


ってググってみたら劇場版公開記念特番『機動戦士ガンダム00 スペシャルエディションI ソレスタルビーイング』か。
これってDVDになってたやつなのな。

TVシリーズ前半部の物語に当たるファースト・シーズンを、主人公・刹那の視点で解釈し、新作カット、新規アフレコを追加し再構成した作品。

正直、最後はみんな死んじゃったんだと思った。
いきなり4年後とかいう展開。
さらに死んでなかったというオチ。


見てて思ったことは、以下。

悪い人でなくても悪いことはする。
その場合はだいたい行為をやめるだけで話は済む。
でも稀に悪い人というのがいて、その人の発想自体が悪いことがある。
つまり行為をやめることでは解決に至らない。
というかその人にとってはその行為が悪い行いでない。
だからやめない。
まぁそういう人が悪くない人に悪いことをさせたりする。


権力のない人がよろしくない発想をしたところで、たかが知れたことしかできない。
権力者がよろしくない発想を抱いてしまうと、世の中はおかしくなる。
なんか「力のない正義は無力で、正義のない力は暴力だ」とかいう話でもあるか。


そんな話なんだと思った。


「悪い人」とかいう表現は、ある意味では無意味なんだろう。
上の話は、きっと分かるようで分からない。
悪にも義があるとかいう話。
単純な悪というものがあるのなら、それはきっと度の過ぎた身勝手じゃなかろうか。
また別に、一見すると悪のように思えても、実はよくよく考えてみると違うとかいう話。
もちろんその逆もあるから、きっと大雑把な表現としての「悪」だと思うのが妥当か。


甘えが我が侭や身勝手に見えるときもある。
その逆もある。


何か画一的な基準があればいいのに。


なんて思わない。
見え方が変わるからこその世界だから。
甘えすぎず、けれど多少は身勝手に生きたい。
そしてそれを受け入れてくれ、たまに否定してくれる人と生きたいと思う。
なんかこれは、ささやかな願いかもしれん。
だってそれってきっと幸せなんだろうなって思うし。


ただ、自分が「いけない」と思うことはしたくない。
ついでに言うと「しないといけない」と思うことは出来る限り迅速に行いたいもんだ。
9月も半分過ぎてる時点で、焦ってくるけれど。


あれ、何の話してたんだっけ。
ガンダムOO見たって話か。
時間があったらじっくり見たいと思う。
気分もある程度良いときじゃないと、どんよりしたあの雰囲気は見つづけられない気もする。
映画は別にいいや。