哲学的なこと
場って何なんだろうなぁ。
定義が何かっていう意味でなくて、もっとこう、直感的に理解したい。
電子は粒子でもないし波でもないらしい。
そこでよく登場するのが、電光掲示板だったりする。
電光掲示板に文字が映し出されて、それが右から左に流れていく。
一見すると文字が右から左に流れているように見えるけれど、
実際には光っている電球が消えて、すぐ左の電球が光ることで文字が流れているように見せている。
電子を文字だと考えれば、電子が右から左に走っているようにも見えるけれど、
本当のところは場の生成と消滅とが絶え間なく起こって電子を形づくっている。
素粒子物理学の先駆けとなった湯川秀樹先生の著書に、もうちょっと洗練されていない─けれどナマの発想に近い─アイディアが書いてあったように思う*1。
確かこの本だったはず、と引っ張り出してきたのは『内的世界と外的世界』という本。
あったあった。「素領域論と李白」というタイトル。
引用しても良いけれど、どこかの講演をそのまま文字にしたような文章なのでメンドクサイので略。
なぜかこの本だけアマゾンで普通に買えるので興味があれば手に入るはず。
- 作者: 湯川秀樹
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1976/12/20
- メディア: 単行本
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岩波書店の湯川秀樹シリーズ(?)は個人的に気になっていて、古本屋に行くたびに探しては買っている。
とか言ってもまだ2冊しか持っていないけれど。
あ、アマゾンで古本を調べたらいいのか!ということで他も買っておいた。
ふむ、新しいシリーズは11冊になったのがあるのか。
何だっけ。
話を元に戻そう。
場とは何か、みたいな話だった。
電光掲示板の話はすごくスッキリまとまってて分かりやすい。
でもどうしてそういう発想が生まれたのかは全く分からない。
それに対して湯川先生の本は電光掲示板の喩えに比べたら、まどろっこしくて分かりにくい。
でもどうして発想の転換が生まれたのかは分かったように思う。
歴史を変えるような新しい発見をしたかったら、歴史そのものを知る必要がある。
大きな流れの中に自分がいることを知らなければ、流されていることすら気付かない。
流れは必ずしも一つじゃない。
ただし、流れに無闇矢鱈と逆らってみても、認められはしないだろうけれど。
*1:正確には「場」一般についての話でなく、非局所場の話だったりする。だから正確には、対比させるのは変かも知れない。