ばっかじゃないの!

じゃみらー

ポスターから自分の研究を探る

夏の学校でポスター発表をすると決めたのは2ヶ月前だった。
良いモチベーションになると思ったし、人に自分の研究を整理することになっていいだろうから。


怒涛とまでは全く言えないまでも、少しは気合を入れて研究してきたつもりだ。
だが(当然ながら2ヶ月では)思っていたほどの進展はなく、当初予定していた結果も出ていない。
そういう意味でもポスターを作るモチベーションは低かった。
だが、自分の研究に意義を見出せないとやる価値を感じられないし、面白みを見出せないとやる気が続かないものだ。
そういう部分も自分の中にあった。
研究自体に意義も面白みもないと思う節があったのだろう。
ところが、それはポスターの説明を研究室の先輩にしているうち、
自分自身がその研究内容をあまり知らなかったために思えてきた。


「ポスター発表すると決めたからポスターを作った」みたいなポスターを作っていた。
何がこの研究の意義・面白い部分なのかを把握していないとうまく伝えられない。
通りすがる人を捕まえて自分の研究を説明するようなポスター発表では尚更だろう。
ひどく当たり前な話ではある。
敷居が低いポスター発表だからと言って、手を抜いてはいけない。


毎度のことだけれど「やるからには全力で」であった。


自分がその研究をしていて感じる意義や面白さを存分に伝えるためには、
その研究の意義も面白さも感じられなかったら不可能だ。当たり前だけど。


もしも感じられなかったら、どうやって意義や面白さを自覚するか。
人に説明してみることが一番いいかもしれない。
相手は、きっと、研究について聞こうという姿勢の人でなければならない。

人に伝えるためには、何より
「まずは研究のモチベーションとその研究の意義が何か」を考える。


意義とは、わかりやすく言えば「それが分かれば何がうれしいのか」ということ。
何もうれしくないなら、する価値がない。
別にそれをしなきゃいけないこともないのだろうし。


モチベーションとは「現状でなぜその研究がなされていないのか」から来るだろう。
何かの困難があるからこそ研究がされていないはずだ。
何も困難がないなら、ちゃちゃっとやってしまえばいい。
だが今の物理に何の困難もないで研究されていないことなど、そうそうない。
そうすれば、困難を乗り越えることに面白さを見出すだろう。たぶん。
これを考えれば、きっと面白みも見つかる。


意義や面白みが自覚できたら、思う存分にそれを伝えればいい。
ポスターに書いた内容がクソでも、少なくとも説明さえ活き活きとできれば問題ないはず。


ポスターに書く内容がクソでは嫌だったら、コンパクトにまとめて、なおかつ面白さを滲み出すしかない。
そうすればクソ素晴らしいポスターになる。