ばっかじゃないの!

じゃみらー

眠たいなぁ。

課題やレポートをやっている。多い。
とりあえず一つずつ片付けていく。


「自己の科学技術論を書け」とか悩みもの。
だって去年書いたのとは別にしなきゃならないんだし。
自分の考える科学技術論なんて、そうそう変わらないのに。
アプローチを変えて書くしかないか。
仕分けで目立った、公報活動の至らなさと絡ませてみようか。
前回は科学と技術とを分けて考えた。
今回は科学技術と、何かっていう話でいってみる。


「科学技術と○○との関係と、そのあるべきかたち」的な。


医療と絡ませてみれば、行き着く先の一つに「人間の身体の代替品を作る」とかがあるのか。*1
バイオな代替か、機械による代替か。
まぁ話は尽きないだろうな。
全部分がパーツとして代替可能なら、全部丸ごとの代替品を作れるはず。
つまりアンドロイドかロボットか。
科学や技術がいくら発展しても、きっと何かしらの障害・病気は残るとは思う。
もちろん、その発展とともに倫理観も伴わなければならない。
そういう意味では、法律とかが絡むし、政治ももちろん絡む。社会全体を巻き込む。


さらにITとも絡ませてみるなら、他者とのコミュニケーションがどうなるか、とか。
こうなれば一つの社会を巻き込むだけじゃ話は済まない。
全世界を巻き込むだろう。


「科学技術の限界」とかおもしろいかもしれない。


正確には科学の限界、か。
科学の恩恵を享受しているにも関わらず、科学に対する興味・関心が今でさえ社会的にこんなにも低い。
今後、その興味や関心が高まっていくかと言えば、きっとそれはない。
個人としてはあるだろうけれど、社会としてはないだろう。
「何かよく分からんけどケータイで遠くにいる人と会話ができる」のが当たり前。
その「何かよく分からん」を追及していけば、電磁気学やら半導体物理学やらシステム制御やらソフトウェアやらネットワークやらを知ってないと理解できない。
実に膨大な知識。
大半の人は理解していないし、理解しようとも思わない。


いやしかし、科学が廃れたら、その1000年後には何が残るんだろうなぁ。

*1:もちろん外科的な治療法の究極型として。内科的なもので何とかなるなら良いけど、やっぱりバイオな何かか、ナノマシンとか?