ばっかじゃないの!

じゃみらー

余裕のあるなし

毎日ざっくりした感じで日記書いていこうと思ってる。
このアカウントとったの、いつだろう。
全然使わないまま放置してたんだけど、少なくとも2,3年くらい前だったはず。


金がある人と金のない人ってのは、違いがあるよね。
何が違うかって、余裕を持てるかどうかだと思う。
それは何をするにでもお金がかかることの多い場所にいれば尚更。
でも、田舎に行けば、もしかすると余裕のあるなしはお金っていうよりも、人柄なのかもしらん。
することがいっぱいで毎日まいにち時間を─それも分の単位で─気にして生きているなら、お金がモノをいう。
「時は金なり」とは、逆も言える。
つまり、お金で時間を買える。
駅の近くにあるコンビニでは定価で売っているペットボトルのお茶は、
郊外のスーパーでは特価になると100円を切る値段で、同じものが売っている。
コンビニはその差額分のお金を、郊外にまで買いに行く手間と暇とに変えて売っている。
──最近はネット通販やら宅配するサービスやらで、単純にこの論理が成り立たないのも事実だけど。


お金のない人は、ある人よりも手間と暇とをかけることで、その違いを埋めることができる。
使えばなくなるのがお金。使わなければ貯まっていくのもお金。
だから、手間と暇とでお金を節約すれば、お金のない人ではなくなる。
──だからと言って、貯まった分を使ってしまえば、またお金のない人になるわけだけど。


田舎のひとらは、時間にそれほど縛られていないものだから、サービスにお金を払う必要があまりない──と思う。
人付き合いで、自分の作ったものを譲ったりする。
付き合いの悪い人には、当然ながら譲る気にはならない。
ものが巡ってこないとなると、自分で手に入れるしかないのだから、自分の負担が増える。
結局、人当たりのいい人よりも多めに活動しなければならない分だけ余裕は削がれる。


当たり前な話、田舎と都会とをスッパリと別けきれないのだから、上の議論は少しボヤける。
「都会度合い」みたいな ものさし でもって町を計って、より田舎っぽいところではより人柄が重視されるという話。
全くの都会でも、少しは人柄も余裕に繋がるということ。


で、何が言いたかったか。
*1はあるに越したことはない。
だからと言って、なければないなりに何とかなる。


ただ、あるに越したことはないということ。

*1:お金や人柄のことを、もっと抽象的に「富」と呼ぶなら──と議論したものに幸田露伴の『努力論』がある