ばっかじゃないの!

じゃみらー

できるようになることが目標か

参考書を見ながら問題を解く。
少なくともそれは出来るようにならないといけない。
本を読んでも問題が解けないようではさすがに困る。
僕が困るのではなくて、解こうとしている本人が困るだろう。


解けない理由はいろいろとある。
でもたぶん一人で考えても埒があかないはず。
何が分からないのかを自分で解明するだけの力があれば、きっと問題は解けるようになるだろう。
そういう人はそのうち参考書を見ながら問題を解けるようになる。
ここではそういう人のことは考えない。
何が分からないのかを自分で解明するには「何か」が足りない人を問題にする。


足りない何かは、基本的に参考書に書いてあることを理解するだけの知識が不足していることによる。
その不足の仕方が、だいたいは自身の持っている知識が漠然としたイメージでしかないように思う。
つまり何を拠りどころにして良いのかが分からないという状況になっているんじゃなかろうか。
何らかの確か(と思えるよう)なものを出発点に考えることが出来れば、そのうち何が分からないか分かるようになる。
喩えるならば知らない土地を探索するとき、まず拠点を作って、そこを基準に四方へと出向くもの。
そうすれば全く地図のない未知の土地も自分で地図を作ることができて、何処に何があるのかが分かるようになる。
拠点がふらふらしていたら(たとえば潮の干満で移動してしまうような土地に拠点を作ったとしたら)拠点があると思って戻ってきたのに、何もない!なんていう状況になってしまう。
これではまともな地図が作れないし、そればかりか外出したは良いが戻ってこられないなんてことになりかねない。
当然ながら散策はままならない。


また、ほかの可能性もある。
探索するときの指針がコンパスであるように、問題を解くときの指針になるものは参考書と言える。
コンパスの見方が分からなければ、また探索はままならない。
参考書の文章スタイルに慣れないと、同じように問題を解くことは叶わないように思う。
書いてあることを読み解く能力とも言えるが、それほど大それたものでなく、ただ「参考書」に抵抗を示さないくらいにならないといけないというレベルの話。


個人的には、少なくとも、参考書を読んでも問題が解けない場合の目標は、それが出来るようになることだと思う。
ただこの目標は、本当に最低ライン。
これを超えられたら間髪入れずに「問題を自分で解ける」ようになることを目指すべき。
たぶんきっと、この「問題を自分で解ける」というのが非常にクセものなんだけど。