ばっかじゃないの!

じゃみらー

講演を聴いて思ったこと

そういえば昨日の講義に科学技術論ってのがあって、そこでロボット作ってることで有名な石黒教授が講演をしてくれた。
印象は、すごくマッドサイエンティストくさい人。
講演は巧いし、内容も日本が世界に誇るロボットの最先端となると*1聴く側も皆ちゃんと聴こうとしている。
まぁ皆と言ってももちろん100%じゃなかったけれど。


正直な話、今のところ「人間とそっくりなロボットが作れたところで、それは人間ではない」と言いきれない。
実際に本当にそっくりなものを作れるようになってみないと、確かめようがない。
文科系な人*2がこう言うかもしれない。
「作ってみるまでもなく、ロボットには心がない。それに対して人間には心がある。」
石黒教授はそれを否定していた。
きっとその真意は“今のところは”という制限のもとでだと思うけれど。
つまりそれは、あの人は科学者としてマッドというわけでもなく、ただアプローチの仕方が正反対なだけなんだろうな。
あれ、そういうのをマッドサイエンティストと称するんだっけ。


「人間は本当に特別なのか」という問いに対して、徹底的に懐疑の眼を向ける。
科学者としてはあるべきアプローチの一つだと思う。
一抹の疑念さえ残らなくなったのちに、ようやく人間の特別性を認める──そんなアプローチ。


ところが、人間に似せたロボットを作っていくうちに、どんどん人間とロボットとの境目が曖昧になってきた。
事もあろうに、人間よりもニンゲンらしい笑みや悲しみを表現するロボットを作れてしまった。
一瞬でも人間よりもニンゲンらしく在るロボット。
自分が一人間として、とても複雑な心境に立たされていることを知った。
石黒教授は、本心ではどう感じ、どう思っているんだろうか。


もしも今後、万が一にも、ロボットに心が芽生えてしまったら、きっと苦悩して自滅するに違いない。
人間に近づくために生まれ、人間よりもニンゲンらしく在るにも関わらず、人間ではないなんて、心が潰れてしまうだろう。

余談

石黒教授の研究室に行きたい人は、教授に「ロボットは将来どのようなときに役立つんですか」と訊いてはいけないらしい。
過去に Apple Inc.の中核にいる人*3に同じような質問をして説教されて、改心したのだとか。
だからそういう質問は「バカな質問」と言って説教されることになる。

*1:よくよく考えてみれば、日本が世界に誇れるものっていっぱいある。でも何かロボットって特別。アトムもドラえもんもロボットだからかな。

*2:別に文科系に何の怨みがあるわけでもないけれど

*3:誰か名前を忘れた。"The best way to predict future is to invent it."とアラン・ケイが言っていたと友人が教えてくれた。さんきゅ。