ばっかじゃないの!

じゃみらー

強く生きる

寂しさと向き合って生きてるうちは、寂しさに負けない自信があるんだ。
でも、毎日まいにち寂しさの相手をしていられない。
目の前のやるべきことに苦心するようになれば、そのときにはもう寂しさに背を向けている。
そうすると、不意を突かれて、寂しさに負けそうになってしまう。
卑怯な奴さ、寂しさってやつは。
だって後ろからバッサリ!だもの。


傷心に浸るって言う。
本当のどん底まで落ちないで、敢えて寂しさに負けてしまうことを言うのかもしれない。
自分の気持ちを認めてしまうと、寂しさに抗う苦しみから開放される。


一人でそういう類の音楽を聴きながら、そんなことを思った。


自分ではどうにもできないことは、他人に委ねる。
そういう術を知ったのは、ごく最近のこと。
他人に迷惑をかけるのだけれど、きっと結果的にはその方が小さな迷惑で済むのだと思う。
自分で抱え込んで、破裂しそうになるまで抱え込むと、後が大変なのだ。
それを痛いほどに身をもって知っている。


自由気ままでありたいと願う心と、誰かと繋がっていたいと思う心と。
本当に最近になって、その二つの矛盾する心にどう折り合いをつけるかが分かったように思う。