ばっかじゃないの!

じゃみらー

歯車

人間さまが作る社会に生きるひとを歯車に喩えることがある.
この表現は非常に巧妙で,色々な意味を含んでいるように思う.
ひとつに一人ひとりが社会の歯車となって,社会全体が機能しているという意味が挙げられる.
働くことを指して用いられる場合が多いが,それだけに限らない.
歯車が噛み合うことで世の中を回していると言える.
これに関係して,歯車は空回りすることもあるという意味にも捉えられる.
歯車はひとつだけ合っても何もならない.
あるいは,無理に回そうとして他の歯車に負荷が掛かったりすることもあるだろう.
歯車同士にある程度のアソビがないとうまく回らないことも.


総じて言えば,歯車とはひとの役割を表しているように思う.
歯車のたとえを否定的に捉えれば,その役割以上のことをすると他人にも負荷が掛かると捉えられる.
社会の歯車となるとき,自ずと求められる役割は定まり,それ以上のことは暗黙のうちに要求されなくなる.
そういう意味とも解釈できる.
高度に自己組織化した社会は,逆に人間をその役割に縛りつける.


ただひとつ,この歯車という表現でうまく表せていないことがらがある.
それは,ひとつずつの歯車が自分で回ろうとすること.
普通の歯車は何らかの動力源から得たエネルギーを回転することで伝えるだけだが,
ひとは自分からその役割を演じることができる.
これは歯車自体に動力源があることになっている.


ともするとひとはただの歯車に成り下がってしまい,ただ回されるままに歯車を回してしまいがち.