ばっかじゃないの!

じゃみらー

どうしたらえぇねん…ってなったとき

問題を解くとき、途方に暮れたことありませんか。
「自分で考える」って何やねんって思ってませんか。


そもそも問題を自力で解けたことがほとんどない人。
答えを見て「なるほどそういうことか」と言って納得する、それでおしまい。
もしくは答えを覚えている状況で解き直しておしまい。
もしも、そういう人なら、もう少し顧みた方がよいと思う。
「なぜ解けなかったのか」と。


「勉強してなかったから」という理由を思いつくかもしれない。
仮に、それが理由だったとしよう。
じゃあ「どう勉強したらいいのか」とさらに問いかけてみてほしい*1
「解けなかった問題を復習する」
確かに、全く同じ問題は解けるようになるかもしれない。
それはそれで「出来る」ようになっているので、進歩していると言える。


同じような問題に遭遇して、また同じように解けなかったとしたら、どうだろう。
そこでも同じように「解けなかった問題を復習する」と反省することは容易い。
そのときに「でも、同じような,しかし全く同じではない問題でも解けるようになる方が効率的だ」と考えられるかどうか。
そういう発想がないと、すごく苦しい。
単純に、類題は数限りなくあると言っても良いから。


では、どうやったら類題も解けるようになるのか。
たとえば、三角形の面積を求める問題を考えてみよう。
簡単すぎると言うひとがいるかもしれないが、この例で十分に説明できると思う。
三角形の面積を求めるためには、その底辺と高さがあれば面積が求まる。
(面積)=(底辺)×(高さ)÷ 2     (1)
もし問題で底辺と高さが指定されていたなら、問題が解けることになる。
ところで類題として、底辺と面積とが与えられたとき、三角形の高さを求める問題が考えられる。
(高さ)=(面積)÷(底辺)× 2     (2)
同様に、面積と高さとが与えられていて底辺の長さを求めさせる類題もありえる。
(底辺)=(面積)÷(高さ)× 2     (3)
この例で言えることは、与えられたものが何か?と使う関係式は何か?がハッキリすれば、それで問題が解けるということ。
与えられたものが何かは、問題文に書いている。
ただ漫然と問題文を読むのではなく「何が与えられているのか」という目で読んでみることが大切。


問題を解くために使う関係式(の集まり)*2のことを「道具」と僕は呼びたい。
上の三角形の面積についての問題において、道具は(1)〜(3)の3つだろうか。
類題も解けるようになりたいと考えるなら(1)〜(3)すべてを覚えるべきだろうか。
簡単な式変形から(1)〜(3)は全て等価だと分かる。
つまり(1)だけを覚えて、適当な式変形(その問題に沿うような)をする方が効率的だと言える。


三角形の面積の問題は簡単すぎて、あまり実用的でないかもしれない。
古典電磁気学の問題で磁場を求めろと言われたとき、そもそも使える道具はマクスウェル方程式(とその境界条件)しかない。
準定常電流の作る静磁場が問題の場合、ビオサヴァールの法則も使えるが、それはマクスウェル方程式の磁場に対する方程式と同等だ。
つまり上の考えで行けば、ビオサヴァールの法則を使おうと思えば、マクスウェル方程式だけを覚えておいて、適当な変形や仮定からビオサヴァールの法則を導いて、それを用いればよいということになる。
(そもそも、系の対称性がよい場合は積分形のアンペールの法則で求まるから、ビオサヴァールの法則は出る幕がないかもしれない)
そこに与えられた条件を加味すれば、必ず問題は解けることになる。
電磁気学の場合、現実的には電流を操作するというのが普通だから、直接、磁場を問題で与えて、電流を求めさせるというのはないように思う。
が、相互誘導の場合は電流を与えて磁場を求めさせ、その磁場から起電力を計算させるというのはあるだろう。)

以上は、過去に類題に遭遇したことのある問題に対しての方法論。
それに対して全くの初見で問題を解くときの方法論はどうすべきか。


これについては、またこんど。ねむい

*1:謂うなれば、悪いことをしてしまって、それを先生か親かに責められているときに必死で言い訳を考えるもの。「自分で考える」って、自分の中にいる自分でない誰かと対話することだと思う。

*2:関係式に限らず、広く「理論」と言いたい。see wikipedia [http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E8%AB%96:title=理論]