ばっかじゃないの!

じゃみらー

ニンゲンノキタナイブブン

誰だって間違いを犯すし、他人を傷つける。
愚痴も言えば、怒りもする。
そういう面があるのは、きっと誰だって知ってるはずなんだ。
自分に危害がないときはそれを許すことは簡単だろう*1


問題は、それが自分に降り懸かってきたとき。
許容できるかどうか。
あまりに許容範囲が狭いと、きっとそういうのを「大人げない」と言われる。
自分が犯す小さなミスは許されていながら、相手の小さなミスを許せないというのは、自分の都合の良い話で身勝手になる*2


「罪を憎んで人を憎まず」ということでもある。
それは、「悪い人はいないが悪いことをする人はいる」とも言えるように思う。


「にんげんだもの」じゃないけれど、許すことはきっと許されることに繋がっている。

*1:「許す」ってのは違うかもしれない。たまたま今日、千葉法務大臣が死刑を執行してニュースになっていたけれど、死刑を執行された死刑囚の犯した罪を聞いても「許せない」とは思わなかった。だからと言って「許そう」とも思わなかった。とても残虐なことをしたんだと思い、そりゃ死刑になるか、とか不謹慎にも思った。ただ「受け止めた」だけ。それ以上の気持ちはなかった。それは自分には“無関係”な罪だったからなんだと思う。

*2:自分のミスも許されないなら、それはきっと生き辛い世界だろうが。