ばっかじゃないの!

じゃみらー

あるもの・ないもの・おもいのまま

本屋をふらふらしていたら,写真のコーナーに3Dレンダリングに関する本があったので,手にとってパラパラ眺めてみた.

レンダリング (rendering) は、データ記述言語データ構造で記述された抽象的で高次の情報から、コンピュータプログラムを用いて画像映像音声などを生成することをいう。元となる情報には、物体の形状、物体を捉える視点、物体表面の質感(テクスチャマッピングに関する情報)、光源シェーディングなどが含まれる。render の原義は「表現する、翻訳する、(脚本などを)上演する」などの意味。レンダリング (コンピュータ) - Wikipedia

最近の(というか,もうかなり前から)3Dレンダリング技術は本当にすごくて,写真と区別ができなくなってきている.静物画とかもう完全に写真と区別できないし,人間だって相当に精細に表現できるようになっている.何ならそれを自然に動かすことだってできるようになってきている.(簡単にその凄さを体験したかったら MikuMikuDance とかでググると良いよ)

3Dレンダリングというのは,世界に対する一つのアプローチとして見ることができると思った.写真を撮ることも,やはり一つのアプローチと見なすことができるだろう.ただ,写真はレンダリングとは真逆のアプローチのように思う.「世界」と書いたけれど,それは“見ることのできるものすべて”という意味.「世界へのアプローチ」をもう少し言い換えると,3Dレンダリングのそれは“世界をどうつくり上げるか”で,写真のそれは“世界をどう切り取るか”となるだろう.0 から構築するものと,1 から削っていくものと.あるいは,能動的に世界を構成するか,受動的に構成するかの違いと言っていいかもしれない.

3Dレンダリングと写真撮影は,両極端からのアプローチだが,より3Dレンダリングに近いものとして,撮った写真を加工するというものがある.これも世界への一つのアプローチだろう.見たままありのままをどう切り取るかだけでは,やはり限界がある.それは撮影機材の限界であることが往々にしてある.明るさが足りなかったり,青みがかったり白飛びしたりする.それは光量や偏光の問題で,PLやUVカットやNDなどのフィルターを用いて対処できたりする.そういうものを予め想定して撮影して,あとから補正して求めていた写真に仕上げることができる.ただ,これは「撮ったものをより見たもの(あるいは見せたいもの)に近づけるか」というもので,世界に対するアプローチは,写真撮影よりは幾分か能動的になったが,まだ元のスタイルは「世界をどう切り取るか」に根ざしているようにぼくには思える.

もう少し3Dレンダリングに近づいた,より積極的なアプローチもある.「見えた世界をどう切り取るか」というスタンスでは本質的に表現が限定されるのだ.昨今は Photoshop などのソフトを使えば,“不要な”電柱だったり人だったりをピンポイントで消し去ってしまうことができる.重要なことは,改変はフレーミング(写真の構図を決める)とは異なる行為で,切り取った枠内から“不要な”ものを消し去ることは,露出の補正やコントラストの調整とは本質的に異なることだと言える.

人それぞれ,好みのスタンスで世界へアプローチすればよいわけだけど,能動性受動性の違いとして見ることができれば,自分のスタンスがより明確になるかもしれない.