ばっかじゃないの!

じゃみらー

それってホントに事実なの?

前の記事で,ぼくは,事実として提示できるデータなり法律なりをストックしておくべきと書いた.
さらに突き詰めてみると,そのデータが本当に意味のあるものか,その法律の解釈は恣意的でないか,が必ず問題になる.
これについて,どこまで主張できるか.
物理学では実験には再現可能性が課されているので,得られたデータは事実としてもよいように思う.
何回やっても同じ結果になるのだから,それは事実として認められるはずだ.


しかし本当にそうなのか,と疑問を持つ.
たとえば,繰り返しやるうちに,それらしいデータだけを選び出してはいないか,とか.
ぼくは実験家でもないしシミュレーションをするわけでもないからよく知らない.
ただ,もしぼくがその人でも,同じような結果を得ているんじゃなかろうか.
という程度しか答えられない.


「それってホントにそうなの?」と鋭く突っ込まれると,どこまでいっても事実は出てこないかもしれない.
データは嘘をつかない事実だろうが,そのデータをはじき出す過程に全く作為的な操作がないという保証はない.
グーグル検索の結果は,今までの検索結果を元に最適化されていることがあるし,インデックス化されていない場合は弱い*1


ただし,定義や仮定は出てくる.
(法律なんてまさしくルールである!)
最終的には無定義語に行き着く気がする.
その無定義語を共有できない場合,その相手とは議論できない.
同じ土俵でしか相撲はとれない.
別の前提を探すか,議論しないか.


前の記事の,事実をストックしておけという表現は微妙に不正確だった.
自分で問題設定をする.
つまり,言うなれば事実(っぽいこと)を仮定してしまう.
その問題を相手と共有する.
そうすれば議論できる.
これで理系でも現象論的な議論が出来る…はず…
(結局ディベートという営みに行き着くようである)


うまく話をする人は,まず何より先に問題をうまい具合に設定する.
その話し手が設定するまでは問題でも何でもないことが,それ以降では問題となる.
問題を共有することで,同じ土俵に引きずり込む(表現は悪いが).
そこで必要最低限の仮定を導入し,その仮定を余すことなく使って問題を解消する.
シンプルで,明快である.

*1:[http://support.google.com/webmasters/bin/answer.py?hl=ja&answer=34441:title]