ばっかじゃないの!

じゃみらー

そのひとのために

ランダウの生涯』を読み終えた.

という二つの条件を満たしていればランダウはその人を師事したという.


計算の能力については,ランダウが試験をして確かめていたようだ.
試験を受けられる回数は3回までと決まっていて,それ以上の受験は断られていた.
「きみは物理学者には不向きだ.こんなことは,はっきり言うべきだろう.
なまじ,あやふやなことを言って,きみを迷わせたら,もっと悪い結果になるからね.
もう来ないでくれたまえ.
私の心は石のように冷たく,見せかけの同情は持ち合わせていないからね」
と言ったとか.


「大切なのは,理論物理をやりたいというパッションだ」と言うとき,
それと同時にそれをやりとげるための能力は要求されている.
最低限の能力―何ら特別な才能を必要としない訓練で身に付く計算の技能―さえ身につけていない場合,
やはり,やめておいた方が良いと言わざるを得ない.
それがそのひとのためでもあるのだから.


いま問題なのは,その能力があるのかどうかを確かめる試験がないことだ.
ランダウの生涯』から読み解くと,そのランダウの試験も形骸化していっていたようだ.
試験が課された当初は,よい試験ならば,確かにその試験で能力を測ることができたろう.
試験を続けるうちに試験に通るノウハウが蓄えられてくる.
そうするとそのノウハウだけを身につければ試験を通ることができる.
結果的に,能力を測る機能としての試験はそこで死ぬことになる.