ばっかじゃないの!

じゃみらー

生きにくい世の中なので宗教が流行ります

むかし僕も科学の宗教性を感じていました。
それは単に科学の恩恵を受けるだけの立場だったからだと、今の僕は考えています。


科学と宗教との差異の話になると、だいたいの人が科学者か否かに分かれているように思う。
実際に何らかのかたちで科学に関わる人は、科学は宗教とは違うと論理立てて否定する。
「いわゆる科学」みたいな曖昧なものしか知らない人は、科学と宗教の違いが分からない。
実際に科学の営みを体験したことのない人は、単に科学の恩恵しか知らない。
電子レンジの科学が何か分からなくても、ご飯は温かくなる。
そして、それで十分なのかもしれない。
つまりどんな理屈で電子レンジがご飯を温めてくれようが、ご飯が温まってくれればそれでよい。
それなりの理屈が説明されたところで「へぇ」という感想しか出てこない。
自分で確かめようがないのが普通だし、本当にそうなのか確かめようという気になることさえないだろう。


お経を一生懸命に唱えれば、心が落ち着くとしたら、一生懸命にお経を唱えればよく、その理屈はどうだっていい。
恩恵を受けるという次元では、科学も宗教も変わらないのだと、僕は思う。
宗教の論理性が問題なら、教義を公理として、あらゆる理論を構築すれば、論理的に何ら矛盾はない。
実際にそういう宗教がある*1
宗教の営みに従事する人たち(の一部)は実践的で論理的だと、僕は感じている。


ちなみに科学と宗教とは違う。
科学を信じたって救われない。
むしろ科学を信じたら科学者として道を踏み誤る。

*1:僕には論破できなかった