ばっかじゃないの!

じゃみらー

煮え切らない

博士のあとはどうするのかと訊かれて、就職するのもありだと思うだとか、できれば残りたいだとか僕は言った。
煮え切らないなぁと言う反応をされた。


未だに自分の進路を棚上げにしている感じ。
確かに博士過程に行くことを決めはしたけど、それから3年後にどうするかも考えなきゃいけない。
それを踏まえての博士課程だということ。
色々と考えてはいるけれど、どうもそれに責任というか、決意が足りていない。
どこか他人事のような。
まるで熱にうなされているかのような。
あるいは夢見心地かの如く。


はっきり言ってしまえば自覚が足りない。
危機感が足りない。
僕は昔から大切なところでそうだった。


駅から歩いて帰ってきた。
30分くらいかかる。
まだ少し肌寒かった。
とめどなく考えを廻らしながら、けれども闊歩した。


腹を括ろうと意を決した。
このまま何となくやり過ごしていたら、括れるものが首しかなくなる。
さすがにもっと前のめりにならないといけない、と。
前のめりになって、もっとのめり込まないと。


のめり込むと冷徹になるのが出来ない、熱中するのと冷静でいるのって、対極だと思うわけで。
僕としては冷静さをベースに熱中を取り込むというモデルを意識していたわけで。
でも熱いのと冷たいのが接触したら、同じくらいの温かさになっちゃうわけで。
意識していたのは、いかにして冷静は冷静のまま、熱中は熱中のままに維持するかだったけれど。
熱いのよりも冷たいのがたくさんあったら、どうしても熱いのが冷めやすい。


具体的に取り組むべき問題は、どうすれば熱意が他に逃げていかないか。
やっぱり出来る限り隔離すべきなんじゃないかと、安直な考えで。
試験前の塾の自習室しかり、週2のフィットネスジムしかり。
そこに行ったらスイッチ・オン!みたいな。<すっちょん!


でも本当に目指すべき(目指したいの)は隔離ではなくて、壁なんてないのに熱意が逃げていかないモデル。
自習室なんかにわざわざ行かずに日々まんべんなく勉強する。
フィットネスジムではなくて筋トレやランニングを日々する。
維持に大切なのは適度な外部からの熱意の注入。
逃げていく以上に入れてやれば良いんだっていう発想。
だいぶと目指していたものに近づけたかと思ったけれど、気付いてしまう。
隔たりのないモデルでは、どうしても熱意が連続的な変化しかできない。
冷たい部分と熱い部分は連続的に繋がってしまっている。
壁のある不連続的な熱意の跳びには敵わない。
短期的な効率に繋がるのは冷たさに対する相対的な熱さ。「やった感」にも繋がる。
目指したいモデルでは確かに熱意の注入量は維持するのに必要な分だけで良いから少なくて済む。
そこが瞬発力の伸び悩みの原因ともとれる。


これからはもっと別のモデルを考えていこうと思う。
ヒント:僕のハートは永久機関


※これは物理の話ではないです。物の理の話と言えば、そうかもしれません。