ばっかじゃないの!

じゃみらー

人って本当に死ぬもんなんだ

おばあちゃんの姉にあたる人が昨日亡くなった。
90歳に先月なったばかりだった。
僕が本当に幼い頃から何度も寄らせてもらっていて、去年までは年に1、2度は会いに行っていた。
お墓参りの帰りに寄って顔を見て帰るというのが定番だった。
「アベノのおばちゃん」と呼んで幼い頃から慣れ親しんで育ってきた。


今年に入った頃に入院して、もう長くは保たないと言われていたらしい。
最期が近いようだという連絡をもらって、親に付いて僕も顔を見に行った。
でも僕が知っているアベノのおばちゃんは、もっと顔がふっくらしているイメージで。
すごく小さかった。
痩せたとかじゃなくて、小さくなってた。
でも親父が来たのは理解できたようで「何か食べるの出したらな」って言ってた。
もう寝たきりだっていうのに。
歯がゆいって言うか、何て言うか。
優しいんだなって。


顔を見せたけど僕のことは分からなかったみたい。
「この子だれ」って何度も言って、思い出そうとしてる様子だった。
でも思い出せなくて、とても哀しい感じの顔してた。
僕はどうして良いのか分からなかった。
なんて言えば良いのかも、どんな風に振る舞えば良いのかも。
ただただアベノのおばちゃんの目をしっかり見て、目に焼き付けようと思った。
それでもまだちゃんと生きてるんだと、そう感じた。


今から思えば、何も言わずに僕は目を合わせて、おばちゃんが「この子だれ」って言い続けて、大声で家族の人が僕の名前を耳元で伝えてる、やたら変な図式になってたんだろうな。
すみません。
自分の名前くらい自分で言わなきゃいかんかったんですね。


おばちゃんの家族と2時間くらい話をした。
もう長くないと医者に言われて、悩んだ挙げ句、自分たちで見届けようと決めたとか。
それから退院して、色んな人が手助けしてくれて見届けられるためにマンションの一室を貸してくれたりもしたとか。
おばちゃんの容態は日々変わってるんだとか。
足に水が溜まってパンパンに腫れてて、水が出てきたこともあったんだとか。
本当にしんどいけど、ヘルパーさんやお医者さんやらがとても良くしてくれてるとか。
見届けるって意志の強さをひしひしと感じた。


帰るときも、やっぱり「この子だれ」って言われつづけて。
家族の人はそれでもそれに応えてた。
僕は結局、まともに喋れずに目だけをしっかり見つめて、手をさすりながら「帰ります」って言って帰ってきた。


それで二日前の深夜におばちゃんが亡くなったと親から連絡が来た。
よく分からないけど、ただ「そっか」って思った。
無感情なのかもしらん。
色々な感情がない交ぜになってて、よく分からなくて感情がないように思えたのかもしらん。


今日、葬式に行ってきた。
朝から親に車で連れて行ってもらって、親父の喪服を借りて。
葬儀場に着いて、みんな慌ただしくしてて。
見たことある気がする人がいっぱいいた。
僕の顔を見たら、「大きくなったねえ」とか言ってくれたけど、僕は相手を認識できず。
親父に説明してもらったけど、何となく名前を聞いたことがあるなって程度の理解。
そんな人たちが、久しぶりそうに話をしていた。


その話の輪から、ひょと抜けて、おばちゃんの顔を見に行った。
本当に死んでた。
箱に入って、白いので包まれてて、顔は奇麗に化粧してもらってて。
もう目を合わしてくれなかった。
当たり前なんだけど、なんか泣きそうになった。
涙を拭くハンカチなんか持ってこなかったから、僕は目を逸らして逃げた。


葬儀が始まると、鼻をすする音が聞こえてきたり、幼い子が葬式の異様な雰囲気に泣き出したりして。
いよいよおばちゃんが死んだって受け入れさせられるみたいに花を添えさせられて。


棺を霊柩車に運んで、マイクロバスで僕らは追いかける。
斎場に着いたら、火葬場は4つもありやがんの。
隣で誰か知らない人の火葬を、これまた全然知らない喪服の集団が囲ってて。
それを無視して火葬は始まって、何か遣る瀬なくなった。
でもそういうもんなんだって納得した。阿呆だ。


おばちゃんを焼いている間、僕らはご飯を食べに行った。
2時間くらいしてから斎場に戻った。
2番って書いてあるドアが開いて,奥から、さっきまで棺があった台が出てきた。
もう灰しかなかった。
白いのがいっぱい転がってた。
骨らしい骨がほとんど見当たらない。
斎場の人がどこが何の骨なのか解説を始めて面食らった。
「お骨」だとか「お壷」だとか、「お入れいただく」だとか「お」ばっかりで当惑もした。


それから骨を壷に移す儀式。
立ち会った人には斎場の人から長い箸を渡されるんだけど、箸使いの下手な僕には難儀だった。
ちから加減を間違えば落としたり、砕けたり。


結局、おばちゃんは小さな壷の中に納まった。
人って死ぬと、こんなに小ちゃくなるんだなって。
人って本当に死ぬもんなんだなって思った。
当たり前なんだけどさ。
当たり前じゃないんだよね。


葬式にずっと参列したのって、僕のおじいちゃんが死んだとき以来だと思う。
涙を堪えるのに必死だった。


そんな日曜日。
亡くなった人の思い出を記して、そのときの記憶を忘れないようにする試み。
ホント,僕の思い出なんて取るに足らないようなものなんだけど。
それでも僕にとっては、それが全てという話。


おやすみなさい。