ばっかじゃないの!

じゃみらー

時は止まらない

ネットが普及して、多くの人が気軽に使えるようになった。
ブログが流行ってからは色んな人の日常がネットに転がっている。
他愛もない日常やら、変なことに挑戦した記録やら、色恋の恨み辛みやら、本当にさまざま。
もしかするとリアルで身近に生活している人よりも、親近感を持ったりするかもしれない。
それほどにネットにもリアルが流れ込んでいる。
現実とコンタクトをとらなくても、ネットの向こうに数多の人がいる。


そんなネットで、一つの日記に出会った。
「兄が死んだ」というタイトルだった。
多くの人に読まれ、はてブもたくさんついていた。


なんでここに、こんなことを書いているかというと、また思い出せたらいいなと思うから。
別に知人でもないし、関係なんてものさえないけど。
ただそう思ったから。


森山直太朗が歌った「生きてることが辛いなら」にこんなフレーズがあった。

生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り

一時それがマスコミに取り上げられ、物議を醸した。
今もググる検索すればアメーバニュースやようつべの動画のコメント欄で色々読める。


個人的に「三日と経てば元通り」という行がずっと気になっていた。
なんで三日なんだろうと。
一日や二日で元通りじゃああまりに酷すぎるからかな、とか考えた。
一週間―まして一ヶ月―では、今度はなんか慎重すぎる。
だから三日なんだろうか、と。


そう言えば、だいたい、死んだ翌日に通夜をしてその次の日に葬式をするんだった。
葬式ってのは故人の弔いのためだけだと思ってたんだろうか。
ウィキペディアを見たら、やっぱり書いてあった。

葬儀は故人のためだけでなく、残されたもののために行われるという意味合いも強くある。
残された人々が人の死をいかに心の中で受け止め、位置付け、そして処理するか、
これを行うための援助となる儀式が葬儀である。

時は止まらない。
いつまでも死んだ人間のことを思ってはいられない。
世間がそうさせてはくれないし、そうしていては自分がやっていけない。
そうは言っても、簡単に割り切れるものではないだろう。
だから三日なんだろう。
なんだか理由はよく分からないけど「三日と経てば元通り」が厭にしっくりきた。
自ずと「元通り」になるんじゃなく、きっとそうさせられるんだろう。
――どういうつもりでこの歌詞を作ったかは知らないが。


死んだ人間はここに帰らない。
残された人間はここでしか生きられない。
いつまでも悲しんではいられない。
――その悲しみを知らない他人に、そう言われるとひどく不快になるだろうけど。